明日の予報は流星嵐。

放課後のプレアデスのことだけ書くと言ったな。実はあれは嘘だ。更新はあまりしません。

宙できらめく名作 「放課後のプレアデス」

「寄り添うように輝く星も、本当は、一つ一つが何光年も遠く遠く離れています。何もない空で一人輝きながら、皆同じように星たちを見上げているのかもしれません。その輝きが、いつか誰かに伝わるって信じながら。今日の予報は流星雨。こんな夜は、星空を見上げて、肩を寄せあって、囁くような星たちの輝きに、そっと耳を傾けてみませんか。寄り添うように輝く、星たちに混ざりながら」 (放課後のプレアデス1話より すばる)

 それは衝撃だった。小惑星に秒速10kmで衝突された天体の気持ちが分かるような、そんな気がした。放課後のプレアデスは、心に巨大なクレーターを残して去っていった、まさにそんな作品だった。

 2015年6月をもって放課後のプレアデスは最終回を迎え、放送終了からまもなく2ヶ月が経とうとしているが、私のプレアデス熱は一向に冷める気配がない。そもそも私とこの作品との出会いは遡ること4年前、YouTube放課後のプレアデスのキービジュアルの一つ、太陽の光を浴びて佇むみなとの画を見たことに端を発する。

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 一方、YouTube版公開当時からその存在を知っていたにも関わらず、当初はさほど注目してはいなかった。当時まだ高校生だった私にとって、YouTube版は些か高度だったということもあるかもしれないが、同時期にテレビで放送されていた某魔法少女アニメにハマっていたから、ということが大きな理由かもしれない。(放課後のプレアデスもジャンルとしては魔法少女アニメに分類されるかもしれないが)

 そんな私が、放送終了後にも関わらずこうして放課後のプレアデスについて、ただひたすらに思いを綴っているということは、偏にテレビアニメ版放課後のプレアデスに強烈なインパクトを与えられたからに他ならない。元々宇宙や天体に興味があり、SF作品が好きだったからということもあるが、1話冒頭の星空の美しさや、登場キャラクター達の”可愛さ”(重要)、そして何よりも放課後のプレアデスという作品の純粋な面白さに惹かれたのである。

 と、まぁ、要するに私は放課後のプレアデスが好きなのだけれど、いつまでも「はぁ、放課後のプレアデス……尊い……」などと言っているだけの毎日はあまりにも非生産的であるから、自分の気持ちの整理も兼ねて筆を執ったというわけである。なお、本記事は私の放課後のプレアデスに対する思いを垂れ流すために書かれた、ただの自己満足記事であるということを予め述べておく。

 ひかるちゃんならきっと、最後まで読まないどころか最初の段落を読んでリタイアしてしまうんだろうな、と思う今日このごろ。

 

放課後のプレアデスの魅力 その1

景色

「本物の宇宙を見てみたい?」(9話より みなと)

 まずはなんといっても背景の美しさ。1話冒頭の星空を見て欲しい。

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星空が印象的なアニメはいくつか存在するが、放課後のプレアデスもその一つといえるだろう。1話アバンの時点でため息が出るような素晴らしい景色を見せてくれる、それこそがプレアデスクオリティ。

 もちろん美しい背景は星空のみにとどまらない。私が気に入っているシーンの一つ、これまた1話からであるが、夕日をバックに5人が空を飛ぶシーン。放課後のプレアデスではストーリーの都合上空を飛ぶシーンが多いが、それに伴って空の景色にはかなり力が入っているように見受けられる。

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 はじめのうちは(地上)4000mはありそう……と言っていたすばるたちコスプレ研究会の面々であるが、4話で月に、5話で土星、8話でいよいよ太陽系を飛び出し、最終的には銀河すら超えてしまったため、もはや上空の景色や星空にとどまるレベルの話ではなくなってしまった。しかし放課後のプレアデスが描き出す宇宙の景色は、まるで本当に宇宙旅行をしているかのような気分に浸れる程美しいものである。放課後のプレアデスを誰かにオススメする際は、画面に映る景色の美しさが一つのアピールポイントになることは間違いない。

放課後のプレアデスの魅力 その2

キャラクター

「僕が協力者として君たちを選んだのは、君たちが可能性の塊だからだ。君たちは、様々な可能性が重なりあったまま、まだ何者にも確定していない、どっちつかずの存在だ。子供でもないが大人でもない。そして、まだ何者でもない、あるいはなろうとしない。幼い心のまま大人に近づいた、そんな矛盾した存在が君たちだ」(3話より プレアデス星人) 

sbr-gx.jp

 作品を彩る最も重要なファクターの一つが登場人物である。まず、なんといっても放課後のプレアデスに登場するキャラクターは”可愛い”。放課後のプレアデスは、主にすばるたち5人と謎の少年みなと、そしてプレアデス星人の計6人と1匹を軸に据えてストーリーが展開していく。登場人物数的には決して多くはないが、その分1クールという短い期間の中で各キャラクターの個性や魅力をじっくりと描くことが出来るという利点がある。放課後のプレアデスでは、その利点が存分に発揮されていたように感じる。最たる例が4話、5話、8話などのキャラ個別回だ。全話通じて外れがない放課後のプレアデスだが、ファンの間でも個別回の評価は特に高いように思われる。

話数 1 2 3 4 5
1 55.3 22.0 13.7 4.9 4.0
2 74.8 15.0 5.9 2.1 2.1
3 81.7 10.1 5.4 1.2 1.6
4 84.8 9.5 4.0 0.8 0.9
5 89.4 6.0 2.6 0.6 1.4
6 84.1 10.4 2.7 1.4 1.4
7 86.1 8.1 3.8 0.7 1.3
8 93.4 4.2 1.4 0.4 0.6
9 86.2 7.6 3.0 1.4 1.8
10 87.0 8.3 2.7 0.8 1.2
11 92.8 3.7 1.9 0.7 0.9
12 91.7 4.7 2.0 0.8 0.8
 
平均 83.94 9.13 4.09 1.32 1.50

ニコ生アンケートより(参考:ニコ生アニメアンケートめも @ ウィキ - 放課後のプレアデス)

 この結果を見ると、4話(ひかる回)で高評価が約8割5分に届きはじめ、5話(いつき回)で約9割、8話(ななこ回)では全12話中最高評価となっていることが分かる。ただ、1話の評価は55.3%とお世辞にも高いとは言えず、主な理由としては初見で1話だけ見て「よく分からん」と判断してしまった人が多かったからではないだろうか。他にも理由はいくつか考えられるが、それはまた後日考察(する気があったら)したいと思う。

 1話の評価が作品にとって重要であることは間違いない。しかし、評価が右肩上がりになっていることから、1話で振り落とされなかった人たちや、1話で何かを感じ取った人たち(?)が最終話まで走りきっているようにも推定できる。いずれにせよ、貴重なデータであることは間違いない。

 以下、主要キャラについて簡単に紹介する。

すばる

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「あの、私、また星に導かれちゃったみたいで」(5話より すばる) 

  星が大好きな女の子。どこまでもまっすぐで素直なところが魅力的。見た目とは裏腹、(母親譲りの?)肉食系女子である。見方によっては、放課後のプレアデスという作品はすばるとみなとの宇宙を超えた愛の物語と捉えることも出来るかもしれない。

あおい

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「変わりたかったんだ。私は、変われなかったから」(1話より あおい)

 ボーイッシュな見た目の女の子。本当は可愛い物が大好きなところが可愛い。すばるとは幼なじみ。すばると顔を極限まで近づけるシーンが印象的。あおすば……あおすば……と呟くだけの機械と化してしまった人も多いとか。

いつき

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「私ね、小さい頃は誰だって皆空を飛べるって思ってたの。ずっと自分だけ飛べないのが悔しくて。だから今、とっても楽しいの」(3話より いつき)

 おしとやかな女の子。……だが机を担ぎ上げたり、パンパンのゴミ袋を一気にたくさん持ち運んだり、プレアデス星人が変形しそうになるほどひっぱったり、意外と実力派(物理)な一面もある。極一部では、天文台に設置されている電波望遠鏡のアンテナを支えているように見える部分が、実はいつきちゃんのシルエットなのでは……という憶測が飛び交っている。(んなこたーない)

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ひかる

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「すばるん。月、美味しかったね」(4話より ひかる) 

 まゆげがチャームポイント。ひかるちゃん……かわいいよ。ひかるちゃんのまゆげかわいいですよね?まゆげになりたい……。ひかるちゃんのまゆげになりたい。ひかるちゃんのぺたんこ曲線を数式化したい。ひかるちゃん好き。

ななこ

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「あの二人を見てると、なんだか心がぽ・わ~むしてくる」(8話より ななこ)

 ミステリアスな雰因気を醸し出す女の子。プレアデス星人の通訳も兼ねてよく喋るが、普段は寡黙。無口だが、無表情というわけではなく、むしろ表情豊かでありそこが彼女の魅力の一つでもある。

みなと

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「僕は君のアルデバランだ」(12話より みなと)

 基本的に謎が多い。物語の鍵を握る存在でもある。巷にはみなすば至上主義なるものも(あるかどうかは知りません)。小説『放課後のプレアデス みなとの星宙』を読んだ上で改めて考えると、放課後のプレアデスという作品はみなとを主人公とした物語とも考えられる。

プレアデス星人

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「どんな姿になっても、僕は君のプレアデス星人だ」(12話より プレアデス星人)

 すばるによると、むにゅってしてて、冷たくもなくて、でもちょっと暖かいらしい。すばるたちからは会長と呼ばれている。実は裏に穴のようなものが空いており、YouTube版でははっきりと描かれている。

放課後のプレアデスの魅力 その3

サウンド

「最後までなんて聞けないよ。だって、聞いちゃったら、私泣くしかないってわかってる。だけど、そんなとこ誰にも見られたくない」(4話より ひかる)

 放課後のプレアデスを語る上で「音」の要素は絶対に欠かすことが出来ない。まずはサウンドトラックむつらぼしについて。テレビアニメ版の音楽は、浜口史郎さんが手掛ける。現在はαとβが入手可能だが(βはBlu-ray・DVD1巻に付属)、どちらも買って損はない。作中で流れる素敵なBGMによって、様々なシーンのよさが更に引き立てられていると言っても過言ではない。中でも私のお気に入りは、むつらぼしαに収録されている「夜空のノクターン」、「星めぐりの歌」、そしてβに収録されている「明日へむかって」である。夜空のノクターンは、4話の鍵とも言える曲で、ピアノによる演奏の優しい曲である。ひかるが最後の一小節にソの音を書き入れ完成した曲なのだが、ひかるがソの音を書き入れる以前の小節には一切ソの音が出ていないと言う話を一挙上映イベントの際に伺い、作りの細かさを実感した(と同時に恋愛サーキュレーションにシの音が出てこないという話を思い出した)。明日へむかっては……泣ける……。とにかく。

 また、BGMだけでなく効果音に対するこだわりも凄まじい。効果音で特徴的なものといえば、ドライブシャフトのエンジン音だが、スタッフブログ(2015/06/08 番外編 唸るエンジン音!)

放課後のプレアデス / SUBARU x GAINAX Animation Project|STAFF BLOG

によると、このエンジン音は実際にSUBARU車のエンジン音を録音したものであるという。

 個人的に着目して欲しい部分は1話冒頭、星空が映しだされるシーンの音。ボリュームを上げないと分かりづらいかもしれないが、「ゴー」という音が聞こえる。同じような音が3話Bパート、はじめて宇宙に進出したシーンでも聞こえてくる。

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宇宙の音とも表現できるこの音は、映画館のような場所で聞くと更に臨場感が増す。放課後のプレアデス一挙上映イベント、可能であればもう一度開催されることを切に願う。

放課後のプレアデスの魅力 その4

セリフ

「どんな花になるのかわかっていたら、咲くのを見なくてもいいと思う?」(4話より すばる)

 放課後のプレアデスには、素敵なセリフが多く登場する。如何せん情報量が多いため、何気なく見てしまいがちになるかもしれないが、それぞれの登場人物のセリフに注目して本編を見てみると、はっとさせられるようなセリフに出会うことが多々ある。たとえばみなとのセリフ

「ねぇ、どんなに綺麗でも、ここでしか生きていられないものに意味があると思うかい。どんな輝きも、人の目に触れなければ暗闇と変わらないように」(1話より みなと)

受け止め方は人それぞれだが、最終話まで視聴し、小説『放課後のプレアデス みなとの星宙』(

小説「放課後のプレアデス みなとの星宙(ほしぞら)」8月1日発売 | GAINAX NET)を読んだうえで改めてこのセリフを聞くと、物事の本質を突いているかのように感じるこの言葉も、みなとの内に秘められた優しさや寂しさを内包しているかのように思えてならない。

 同じことがこの作品自体にも言えるのではないだろうか。どんなに魅力的で、どんなに奥深く、そしてどんなに面白い作品も、人の目に触れなければ……。

 幸いなことに、Twitterなどを見ていると、放送終了後にも関わらず、放課後のプレアデスへの思いが冷めやらぬ方は一定数いそうだし、布教などにより(?)じわじわと知名度が上がっていることは確かなようだ。私も、「それはそうとしてまずは放課後のプレアデスを見てください」と言い続けていきたいと思う。

放課後のプレアデスの魅力 その5

キャスト

   優しさと希望でできている!!」(いつき役 立野香菜子さん)

ameblo.jp

 キャラクターに命を吹き込む声優を抜きにして作品は語れない。一挙上映&キャストトークショーに参加して改めて実感したが、キャストの方々から作品に対する愛をひしひしと感じた。これは本当に素晴らしいことであると思う。ファンだけでなくキャスト自らも作品を愛しているということは何よりも大切なことではないだろうか。今はもう、放課後のプレアデスのキャストはこの人達以外に考えられない!と強く思うほどだ。

 また、皆で作り上げた作品なんだと感じるエピソードが一つある。最終回でベッドに横になっているみなとの目に涙が浮かんでいるシーン、当初は涙すら浮かべず、ただ横たわっているだけという設定だったらしいが、キャストの女性陣の説得により変更になったそうだ。そういう裏話もあって、私は「放課後のプレアデスは希望で出来ている」という言葉が心から好きだし、放課後のプレアデスが大好きなのだ。

放課後のプレアデスの魅力 その6

SF要素

「僕達の人生は一通りでしかない。だけど、あらゆる物事に起こりうる全ての可能性は、認識できないだけでどれも実在するとしたら?たとえ一千兆分の一の確率でも、一千兆回に一度は実現する。そして僕たちは、この宇宙に存在するあらゆる可能性の重ね合わせの中から、任意の1つを自在に確定させる技術を持っている」(3話より プレアデス星人)

 作中にはサイエンス要素がふんだんに盛り込まれている。そもそもすばるたちは別々の運命線から呼び集められたが、これは多世界解釈的な世界観によるものである。相対性理論量子力学に通じるようなシーン、セリフも散見された。当然、天文学的要素は満載で、見ているだけで勉強になりそうなほど。ひょっとすると、放課後のプレアデスはN◯Kで再放送しても問題ないのでは……?と冗談半分で思うこともあった。また、赤方偏移、赤色超巨星、ニュートリノ重力レンズ、ホーキング放射……などの理系チックなワードも多数登場する。しかし、これらのワードについて、作中では詳細な説明があるわけでもなく、案外さらっと流されているのだ。もし、一つ一つの単語についていちいち説明をつけていたら、逆にくどく感じていただろう。科学の知識に明るい人は見ていてニヤッとする場面も多かっただろうし、あまり詳しくない人にとっては話をわかりにくくするようなうっとおしい説明もなく、ちょうどよかったのではないだろうか。全話通してSF交渉がしっかりしている放課後のプレアデスだが、とりわけ5話に関しては凄まじかった。国立天文台の協力の下制作されたそうだが、正直テレビアニメでここまでやるかと思ってしまった。

  SF要素について書こうとすると、それこそまた記事が一つ書けてしまいそうなので、機会があれば(やる気があれば)それにも取り組みたいと思う。

✦最後に放課後のプレアデスをちょっとだけ考察する

「私は、私になる」(12話より)

 放課後のプレアデスは奥深く、そして何より面白い。ここでは主に全話通じての感想や、作品のテーマなどについて述べる。しかし、作品の捉え方は人それぞれであるから、ここで述べることはあくまで私個人の見解であると理解していただきたい。

 まず、テレビアニメ版初見の段階で全話視聴後に抱いた感想は、キャラクターの項で前述したが、放課後のプレアデスはすばるとみなとの物語であると同時にすばるたち5人の成長物語であるとも感じた。第3話ですばるは

「皆優しい。私や、宇宙人さんたちのために一生懸命になってくれて。私、皆といたい。皆みたいになりたい」

と話している。しかし、すばるたちは最終話では打って変わってこのような発言をする。

「無限の可能性なんて、壮大過ぎて分からない。想像できるのは、自分とそんなに変わらない女の子。何の変哲もない、ありふれた女の子。ひかるみたいに、頭が良かったらいいな、とか。いつきみたいに、綺麗な髪だったらいいな、とか。ななこちゃんみたいに、マイペースでいられたらいいな、とか。あおいちゃんみたいに、しっかりしたいとか。すばるみたいに、まっすぐ素直でいられたらって思うけど。皆を羨ましく思うのはきっと、困った時、落ち込んだ時、たくさん助けてもらったから。完璧な誰かになりたいってことじゃなくて、皆が皆だったから。私が、私だったから。一緒にいられたあの時間。だったら、私は私がいい。そしてその時そばにいる人の、綺麗なところ、いいところをたくさん見つけてあげたい。私は、私になる」

心のどこかでエンジンのカケラ集めを続けていたい、魔法使いを続けていたいと思っていた彼女たちが、最終的に自らの判断でプレアデス星人の宇宙船を直すため、そして元いた運命線に戻るために銀河を超える旅に出ることを選択したのは、彼女たちが短い期間の中で大きく成長したからに他ならない。プレアデス星人からどこからやり直してもいい、何になってもいいという無限の可能性を与えられたにも関わらず、5人全員が元の自分に戻ることを選んだ、つまり魔法使いとしてカケラ集めをし、絆を深め合った仲間たちと一旦別れることを選んでまで元の運命線に戻るという決断をしたことこそが、なによりの成長の証ではないだろうか。終わり方次第で作品の評価が決定してしまうこともあるため、11話まで視聴した段階で、12話に対する期待や不安はとても大きくなっていた。しかし、最終回のほんの少しの切なさを残した終わり方が心に刺さったこともあり、その時点で私の放課後のプレアデスに対する評価は確定したような気もする。

 また、誰かに憧れる気持ちがあることを認めつつも、それでもやっぱり私は私がいい、私は私になるんだと決意するに至ったのは、まだ何者にも確定していない彼女たちが自己をはっきりと認識し、未完成なままの自分もまた自分なのだと理解したからであろう。この「私は、私になる」というセリフはOPテーマのStella-rium

youtu.be

の歌詞ともリンクしており、はじめて最終回を視聴した際は思わず唸ったものである。

 さらに、Febri vol.30において、佐伯監督は「ボーイ・ミーツ・ガールをちゃんとやりたかった」と語っている。

www.ichijinsha.co.jp

9話以降は特にみなととすばるにスポットを当てた展開となっていく。このことからも、放課後のプレアデスをみなととすばるの恋物語と捉えるのは自然と言えるのかもしれない。

 次に、小説『放課後のプレアデス みなとの星宙』を読んだ上で見返したあとの感想は、初見の際に抱いた感想とはまるで異なる。今度は完全にみなとの物語であった。みなとの星宙に描かれていることがすべて公式見解だというわけではない。しかし、少なくとも私はみなとの星宙の解釈は好きだ。アニメ本編で描かれていない部分のみなとの心情を把握した上で1話からずっと見ていくと、絶対に違った景色が見えるはずだ。しかし、問題なのはみなとというキャラクターを理解することが非常に困難だということだ。彼が抱いている葛藤や、すばるに対する特別な感情、そして世界から消え去ることへの執着。すばると出会ったことにより、徐々に変化していく心も含めて考えると、作中で最も取り扱いが難しいキャラクターであることは間違いない。みなと一人についての考察で記事が一つ書けそうである。ただ、みなとがどれほど難解なキャラクターであったとしても、みなとの星宙が素晴らしい本であることに変わりはない。放課後のプレアデスの新たな側面を見せてくれた作品でもあり、アニメを見た人も見ていない人にもオススメ出来る。

 放課後のプレアデスという作品は、様々な物語の重ね合わせによってできていると言ってもいいかもしれない。描かれてはいないが、プレアデス星人(エルナト)視点から見た放課後のプレアデスも見てみたいし、前日譚も見てみたい。見返しても飽きが来ない理由の一つとして、見方によって様々な楽しみ方があるということが挙げられるのかもしれない。

 さらに、放課後のプレアデスでは、作品を通して「変わる」というセリフが多く登場する。

君の知らないうちに、君の知ってる人が君の知らない人に変わるのが嫌?それとも、変わりたくないのは君の方?(2話より みなと)

何者にも確定していない中途半端な存在だったからこそ、プレアデス星人に選ばれたすばるたち。そんなすばるたちが「変わりたい」と思うのは、何者かでありたいという気持ちからきているもので、同時に未完成なままの自分から抜け出したいと願っていたからではないのだろうか。しかし、おそらく未完成なままでもいいというのが作品として伝えたかったメッセージの一つでもあると思う。そもそも完成した人間とは存在するのだろうか?たとえ何者かに確定し、可能性の結晶がはじき出されてしまったとしても、その時点で人として完成するわけではない。すばるたちは最終話において、完璧な誰かになりたいってことじゃないと結論づけている。人は未完成なままだからこそ前に進んでいける、変わっていけるのではないだろうか。そして、すばるたちは幼いながらにそのことを感覚的に理解するまでに成長した。そう考えるとなんとも感慨深い。

 また、「扉を開ける」という行為もキーになっているように思える。

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作中ではすばるがどこかしらの扉を開けると、その先にみなとのいる温室が現れる。これは、本作におけるすばるとみなとの関係を如実に表しているように感じる。温室に籠もり、世界から消え去ることを望んでいるみなとと、彼を外へ連れだそうと何度も扉を開けるすばる。私にはなんだか、回を追うごとに扉を開けるという行為が、ただ単に扉を開け閉めするだけに留まらず、みなとの心を徐々に開かせていく演出のようにも見えた。

「自分でも気づかないうちに、鍵をかけている扉もある」(4話より みなと)

みなとが気づかないうちに鍵をかけていたのは、自らの心だったのかもしれない。

 

 さて、ここまで長々と書いてきたが、正直書きたいことは全部書いたとは到底言いがたい。各話についての考察や、各書籍の感想など、書きたいことはまだまだありそうだが、今回はひとまずここまでということにしたい。放課後のプレアデスのすべてを理解することは、きっと私には出来ないだろう。しかしそうだと分かっていても、ああでもないこうでもないと悩み、いつか自分なりの答えを出したいと思う。そしてありがとう放課後のプレアデス。何度も叫びたい。

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